クロエマーシーショルダー
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null 鉄太郎がきた時、勝が机に向って書いていたのは、総督府に対する書簡であった。  それを差出すあてがあって書いていたのではない。総督府に向って言いたいことを言ってみたら、こんなことだろうと思って、筆を辷《すべ》らせていたのだ。  ——無偏無党、王道|蕩々《とうとう》たり  で始まる有名な書簡だ。  要旨を分り易く記す。  ——今官軍が江戸に迫っているが、徳川の君臣は恭順の道を守っている。徳川の士民も皇国の民であり、今や外国に対して一致して国を守らねばならぬ時だからである。ただ諸士民の中には慶喜の心を解せず乱暴な所為に出ようとする者があり、極力鎮撫しているが、明日はどうなるか分らぬ有様、私も万策尽きて空しく死を覚悟している。  ——然しながら不測の変に乗じて無頼の徒が城内に乱入するに至れば、静寛院宮様の御身辺も危い。官軍参謀諸君は、この点をよく考えて頂きたい。条理のあるところは、百年の後、天下に明らかになると思う。  ——哀しい哉《かな》、官軍との間、隔絶し、皇国の存亡に関して訴える途もない。徳川氏に対する処置については何ら申すことはない。官軍の処置が正しければ、皇国の大幸、もし正しくなければ皇国動乱、徳川の賊名は永久に消えぬこととなる。  書いたのは、ここまでである。  官軍に訴える書としては、些かも敗者の卑屈さはなく、むしろ皇国動乱の責任を官軍側の処置如何に負わせた堂々たるものである。  勝は、もう一度、読み直してみた。  そして、書き加えた。  ——私が参上して事情を訴えようにも、士民沸騰して半日も江戸を去ることができぬ。ひたすら鎮撫に奔走しているが効果は少い。私の志が官軍に達しないのも、天命と言うべきであろうか。  誠恐謹言と結び、宛名を参謀軍門下とした。署名は勝安房。  書き終ると、さらさらと巻いて、客間に戻って、 「山岡君、これでどうだ」  と、見せる。鉄太郎は、その余りに速いのに、唖然《あぜん》とした。 「先生、もう——」